MENU

北海道・東北エリア 秋田県

茶産地:能代市
銘柄:檜山(ひやま)茶
お茶の種類:手揉み煎茶(普通蒸し)、手揉み紅茶

武士の困窮対策として始まったお茶栽培
江戸時代1730年頃、檜山所領の多賀谷21代当主多賀谷峰経(たがやみねみつ)が宇治より茶の実を持ち帰り栽培したのが檜山茶の始まりと言われています。1833年に天保の大飢饉が起き、多賀谷氏の家老石川官太夫が、宇治から茶の実と茶の製法を持ち帰り、武士の困窮対策として茶栽培を推奨したことにより茶栽培が広がったと言われています。当時は武家約200戸がお茶の栽培を行っていました。
明治時代になり武士が檜山の土地を離れたこと、また第二次世界大戦中は、食糧難により茶畑は芋や豆の栽培に変わって行きました。現在、檜山茶の栽培と製造を行うのは、数軒のみです。
檜山茶は、現在も昔ながらのほい炉を使い手揉みで煎茶と紅茶が作られており、少量生産の貴重なお茶です。

檜山茶大髙園 (2018年11月)

檜山茶を守る人々
「伝統の檜山茶を守りたい」という檜山の人々により檜山茶は絶えることなく作り続けられています。
その1人梶原啓子さんは叔父夫婦が営む梶原茶園を手伝うようになったこときっかけで、20年以上お茶を栽培し手揉みで檜山茶を作っています。
啓子さんは檜山茶保存会の会長を務めています。檜山茶保存会では、檜山茶をより多くの人たちに知ってもらうために、子どもたちの茶摘み体験などや市民による手揉み体験やのイベントを行っています。
また、啓子さんはより美味しいお茶を作りたいと、静岡市の手揉み保存会に所属し、静岡市で行われる手揉み講習会に参加しています。啓子さんは檜山城跡周辺の山の斜面を借り、仲間と共に試行錯誤を重ねながら少しずつ茶畑を広げています。

茶誠堂の檜山茶入り茶ようかんと梶原啓子さんたちが作った手揉み煎茶

檜山茶入り羊羹
梶原啓子さんがご主人と営む茶誠堂では、檜山茶入ようかんを作り販売しています。このようかんは、初代茶誠堂店主である啓子さんのお父さんが昭和35年(1960)に作り始めたものです。しっとりとしたようかんの甘さの中に檜山茶の風味が感じられます。啓子さんたちが作る手揉みの煎茶はほどよい苦味とほのかな甘さがあり、檜山茶入りようかんと一緒にいただくとより檜山茶を味わうことができます。

東能代駅の売店 茶誠堂の檜山茶入り茶ようかん(2018年10月)

檜山紅茶
梶原茶園では30アール(約0.3ヘクタール/3,000平方メートル)の茶畑でお茶を栽培し、手揉みで煎茶と紅茶を作り販売しています。紅茶は渋味や苦味がほとんどなく少し甘味があります。

梶原製茶の手揉み紅茶

檜山大髙茶園
檜山大髙茶園では、檜山神社の宮司大髙翔氏が手揉みで煎茶を作っています。檜山大髙茶園の煎茶は、ぬるめのお湯でゆっくり淹れると、玉露のような甘さとまろやかさがあり燻した桜の木のような香りがします。

檜山茶大髙園 (2018年11月)

檜山茶大髙園 檜山茶作りで使うほい炉とかご(2018年11月)

ほい炉:ほい炉は手揉みで製茶する時に使う製茶用器具です。木製の台の上に和紙を貼り、台の下には木炭、電熱、ガスなどの熱電を置き台を温めます。ほい炉の上に蒸した茶葉を置き、手揉みしながら乾燥させます。

サイト内関連記事「日本のお茶の生産状況

焼き物:楢岡焼、白岩焼

お茶関連施設:

参照:
松下智 (平成3年) 日本名茶紀行 (初版) 雄山閣出版
高野實、谷本陽蔵、富田勲、中川致之、岩浅潔、寺元益英、山田新市 執筆 (社)日本茶業中央会監修 (2005) 緑茶の事典 改定3版 柴田書店

本記事に関して間違った情報、新しい情報、追加すべき情報などお気付きの点がありましたら、CHAMARTまでご連絡いただけると幸いです。

#檜山茶 #北限のお茶 #檜山茶保存会 #檜山茶入りようかん

*本記事でご紹介した情報が、変わっている場合があります。本記事に関して間違った情報、新しい情報、追加すべき情報などお気付きの点がありましたら、CHAMARTまでご連絡いただけると幸いです。
*当サイトのコンテンツは、「日本のお茶」と「世界のお茶」の全てについて記載しているわけではありません。また、各記事は、執筆者の個人的な経験や感じたことなどが表現されています。