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お茶の文化
日本 茶の湯
茶の湯と茶道
茶の湯とは、抹茶を点てて喫すること、そして茶道とは、抹茶を点てて喫することを中心とした作法・芸道です。
茶の湯は思想、陶芸、工芸、建築、造園、文学、花など広範囲に渡る「総合芸術」と言えます。
茶の湯の歴史
中国から伝わったの茶の湯
鎌倉時代に中国の抹茶法が日本に伝わり、武家、公家、僧侶らの間で茶の湯が行われるようになりました。この時代の茶の湯は、客の前でお茶を点てることはありませんでした。
侘び茶
室町時代前期までの茶の湯は、客の前でお茶を点てることはせず、別室で点てたお茶を客座敷へ運んでいました。侘び茶の祖とされる村田珠光(1423-1502)は、初めて客の前でお茶を点てたと考えられています。珠光は臨済宗の僧侶・一休宗純(1394-1481)から禅を学びました。そして侘しい状態の美を積極的に肯定し、茶道と禅は目指す境地は同じであるという「茶禅一味(ちゃぜんいちみ)」の境地を開きました。
千利休による茶の湯の確立
珠光の侘び茶の精神は、武野紹鴎(1502-55)に引き継がれました。そして紹鴎の弟子となった千利休(1522-91)によって「茶の湯」が確立され、広く人々に知れ渡るようになりました。
戦国時代、千利休は織田信長や豊臣秀吉といった戦国武将たちの茶道の指南役となり、多くの茶会を取りしきりました。しかし、1591年利休は秀吉に切腹を命じられその生涯を閉じました。
綺麗さび
利休の死後、その弟子の古田織部(1544-1615)は、利休の茶の湯を受け継ぎながらも、自由さと華やかさを取り入れました。織部の弟子の小堀遠州(1579-1647)の茶の湯は、華やかさの中にもさびのある風情があり「綺麗さび」と呼ばれました。
茶道の流派
表千家、裏千家、武者小路千家、小堀遠州流などいくつか流派があります。
流派によってお点前の作法が違います。
濃茶(こいちゃ)と薄茶(うすちゃ)
抹茶を溶いたお茶は、「濃茶」と「薄茶」の2種類があります。薄茶は一人分ずつ点てられ、表面が泡立っています。
濃茶は、抹茶を一つのお椀に客の人数分の抹茶を濃くとろりと練ったものです。
茶室
茶室において、茶碗やお薄器などの茶道具、茶室の床の間にかける禅語などの掛け軸、花と花入、香合など用い、また客人へは和菓子や懐石料理でもてなします。
客人と季節に合わせた茶の湯の空間を作っていきます。
参照:
高野實、谷本陽蔵、富田勲、中川致之、岩浅潔、寺本益英、山田新市 (2005) 緑茶の事典 改訂3版 柴田書店
ランディー・チャネル宗榮 (2016) ランディー・チャネル宗榮のバイリンガル茶の湯BOOK―茶の湯は日本文化のマスターキー 淡交社
茶の湯文化学会 編 (2013) 講座 日本茶の湯全史 第1巻 中世 思文閣出版
茶の湯文化学会 編 (2014) 講座 日本茶の湯全史 第2巻 近世 思文閣出版
茶の湯文化学会 編 (2013) 講座 日本茶の湯全史 第3巻 近代 思文閣出版
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