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緑茶
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抹茶(日本)
緑茶
不発酵茶
抹茶:抹茶は、碾(てん)茶を石臼などで挽いて細かい粒子の粉末状にしたものです。碾茶は玉露茶園と同様に、新葉の摘み取り前の約3週間、寒冷紗と呼ばれる黒色の被覆材、葦(よし)で編んだよしずや、稲わらで編んだこもで茶園全体を覆います。茶園を被覆材で覆い日光を遮断することで、茶葉の苦味成分であるカテキン類の増加が抑えられ、うま味成分のアミノ酸が多くなります。
碾茶と玉露の栽培方法は同じです。碾茶はやわらかい新葉のみを摘み取り、茶葉を蒸した後は、煎茶や玉露のように揉まずに乾燥します。
碾茶の茶園のよしずやこもによる被覆の由来は、諸説あります。新芽が出る季節の霜除けという説、抹茶が一部の特権階級の人々にだけ飲まれており、そうした高貴な人々が飲む抹茶は自然なままでは良くないためという説もあります。
産地:京都府宇治、愛知県西尾市、他日本各地の茶産地
風味・香りなど:うま味が強く程よい苦味と甘味があります。茶園を被覆することで生まれる、「覆い香」と呼ばれる磯や青海苔に似た香りがします。
歴史:抹茶は、12世紀鎌倉時代に中国の宋から日本にもたらされた「抹茶法」が始まりとされています。
抹茶法では、茶葉を蒸してほい炉で乾燥させ、石臼や薬研(やげん)で粉末状にします。そして、粉末にしたものを器に入れお湯を注ぎ、茶筅で撹拌し飲みます。宋では抹茶法が流行し、当時宋で仏教を学んでいた僧侶栄西(1141-1215)が抹茶法を日本に伝えました。抹茶法は、日本でも寺院や貴族、上流武士たちに普及しました。
栄西禅師は弟子の明恵上人(1173-1232)に宋から持ち帰った茶の実を渡しました。明恵上人はその茶の実を京都の栂尾(とがのお)に植え、その後お茶は、宇治、大和、伊勢、駿河へと伝えられて行きました。宇治で栽培されたお茶で、主に抹茶が作られるようになりました。
淹れ方・飲み方:茶道では茶碗に抹茶を入れ、湯を注ぎ、茶筅で撹拌し、いただきます。抹茶ラテや抹茶シェイクなど抹茶を使ったドリンクやスイーツなど、幅広く使われています。
抹茶の定義に関する国際標準化機構(ISO)の技術報告書
2023年4月11日に、国際標準化機構(ISO)は、抹茶の定義に関する技術情報ISO TR2138を発行しました。
ISOの技術報告書は、情報を周知するための文書であって、ルールとして何かを規定するものではありません。
参照:
松下智 (平成3年) 日本名茶紀行 (初版) 雄山閣出版
高野實、谷本陽蔵、富田勲、中川致之、岩浅潔、寺元益英、山田新市 執筆 (社)日本茶業中央会監修 (2005) 緑茶の事典 改定3版 柴田書店
大森正司、阿南豊正、伊勢村護、加藤みゆき、滝口明子、中村羊一郎編(2017) 茶の事典 初版第日本茶業学会茶の科学用語事典(第3版)編集委員会(2021) 茶の科学用語事典(第3版) 日本茶業学会 大日三協
工藤佳治主編者(2007) 中国茶事典(初版) 勉誠出版
農協研究機構 (研究成果)抹茶の定義に関する技術報告書がISOより発行
https://www.naro.go.jp/publicity_report/press/laboratory/nifts/152224.html#yogo1
ISO/TR 21380:2022 Matcha tea — Definition and characteristics
The International Organization for Standardization (ISO)
https://www.iso.org/standard/80777.html
抹茶ワッフル作成・撮影場:サムズカフェ
抹茶スムージー作成・撮影場所: cafe TOM
*本サイトでは、CHAMARTが実際に飲んだお茶を紹介しています。各記事は、執筆者の個人的な経験や感じたことなども表現されており、記事内のお茶の全てを表すものではありません。