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お茶の歴史
中国のお茶の歴史2「紀元前3世紀〜6世紀」
喫茶の始まり
中国でお茶を飲む風習が始まり、漢代にはすでにお茶が飲まれていたようです。
中国の古い文献には、「茗(メイ・ちゃ ming)」や「荼(タ・になが Tu)」の記載があります。「茗」や「荼」はお茶を意味すると考えられていますが、明確にはわかっていません。そのため、中国で初めてお茶が飲まれるようになった時期もまだ明らかではありません。
秦(紀元前221-206)・漢(紀元前206-220) 代
秦・前漢代に編纂された字書「爾雅(じが Erya)」に、「荼」について記載されています。
清代(1644-1912)の学者・顧炎武(こえんぶ Gu Yanwu)が著した「日知録(にっちろく Rizhilu)」には、「秦人、蜀を取り、始めて茗飲のことあり(秦人は蜀を支配してからお茶を飲み始めた)」という記載があります。蜀は現在の四川省を中心とする地域です。
漢代の王褒(おうほう Wang Bao)が著した「僮約(どうやく Tongyue)」には、「武陽荼を買う」「烹荼、具を尽くす」と茶と茶具についての記載があります。武陽は現在の四川省にありました。
三国・晋・南北朝時代 (220-581)
三国時代の魏の張揖(ちょうしゅう/ちょうゆう Zhang Yi)が著した「広雅(こうが Guangya)」には、お茶の製造方法と飲み方についての記載があります。当時は、固形茶を作り、お茶にネギや生姜、みかんの皮を混ぜて飲まれていたようです。
南北朝時代になると、南朝では茶産地に近いことからお茶がさらに普及しました。北朝では紛乱により茶産地との交通が一時途絶えたため、お茶を飲むの風習は廃れましたが、その後、再び朝廷の間で復活しました。
隋代(581-618)
隋の歴史は短く、お茶に関する記録はあまり多くありません。隋代を扱った中国の歴史書「隋書」によると、隋の初代皇帝・文皇帝はお茶を愛飲したと伝えられています。
注:お茶は植物としては「チャの木」または「チャ」とカタカナで表記されます。「チャ」はツバキ科の常緑樹で学名はCamellia sinensis (L.) O.Kuntzeです。
本サイトではカタカナは使わず「お茶の木」「お茶」と表記しています。
*文中の中国の文献、人物の()内のカタカナとひらがなは日本語読みで、アルファベットは中国語の発音pinyin(ピンイン)です。
参考文献:
松崎芳郎著(1985) 年表 茶の世界史 (初版)八坂書房
工藤佳治主編者(2007) 中国茶事典(初版) 勉誠出版
日本中国茶普及協会(2015) よくわかる中国茶の本(第3版) 日本中国茶普及協会
大森正司、阿南豊正、伊勢村護、加藤みゆき、滝口明子、中村羊一郎編(2017) 茶の事典 初版第一刷 朝倉書店
社団法人農山漁村文化協会編集(2008) 茶大百科 I歴史・文化/品質・機能性/品種/製茶(第1刷) 社団法人農山漁村文化協会
布目潮渢、中村喬 著(昭和51) 中国の茶書(初版) 平凡社
「世界の歴史」編集委員会編(2009) もういちど読む山川世界史(第1版) 山川出版社
ヘレン・サベリ著 竹田円訳(2014) お茶の歴史(第1刷) 原書房
高野實、谷本陽蔵、富田勲、中川致之、岩浅潔、寺元益英、山田新市 執筆 (社)日本茶業中央会監修 (2005) 緑茶の事典 (改定3版) 柴田書店
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