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お茶の歴史

中国のお茶の歴史 4「10〜20世紀」

中国のお茶の歴史 4「10〜20世紀」

宋代(960 – 1279)
お茶の専売制度
964年にお茶の専売制度「榷茶(かくちゃ Quecha)法」が実施されるようになりました。
この時代の固形茶は団茶と呼ばれ、「龍鳳団茶」は固めた茶葉の表面に精巧な龍や鳳凰の模様が施され、皇帝への献上茶として作られました。

点茶法
唐代末期から、団茶を石臼で挽き粉末状にし、お湯を注いで茶筅で攪拌して飲む「点茶法」が行われるようになりました。団茶は特権階級の限られた人々に用いられ、庶民は茶葉を固めない散茶を飲んでいました。
また、宋代には茶館が現れ、装飾された茶館で、人々は花や書を鑑賞しながら、お茶を愉しむようになりました。
宋で仏教を学んだ栄西が点茶法を日本に伝えました。その後、日本で抹茶が生まれ、茶の湯へと発展していきました。

大観茶論(だいかんちゃろん・だいかんさろん Daguanchalun)
大観茶論は、北宋(960 – 1127)の第八代皇帝徽宗(きそう Huizong)(1082-1135)が著したとされるお茶に関する書です。大観茶論には、お茶の栽培、製茶、品種、飲み方、茶器などが書かれています。

茶馬交易
8世紀後半に始まった茶馬交易は、宋代になると制度が作られ国によって管理されるようになりました。1074年に茶馬交易を管理する役所「茶馬司」が設置されました。

杭州市 青葉茶館(2017年4月)

明代(1368-1644)・清代(1644-1912)
団茶から散茶へ
明代になると太祖洪武帝は、農民の負担を軽減するために団茶の製造を中止し、献上茶も散茶にする指示を出しました。散茶が広く飲まれるようになったことで、製造方法や飲み方も変わりました。生臭いとされていた蒸し製法から釜炒り製法へと変わり、茶壺に茶葉を入れお湯を注いで淹れる淹茶法(泡茶法)になりました。
明代後期になると、黄茶、黒茶、白茶、烏龍茶が作られるようになりました。

海外へ渡る中国のお茶
1654年に禅僧・隠元(1592 – 1673)は日本へ渡り黄檗宗萬福寺を開きました。隠元は中国式の茶道具や喫茶方法、普茶料理などを日本に伝えました。隠元が中国から持参した中国宜興製の紫泥大茶罐は日本の急須の原型と言われています。

16世紀大航海時代になり、ヨーロッパの探検家や宣教師がアジアにやってくるようになりました。そして17世紀には。オランダとイギリスの東インド会社が中国との貿易を始め、お茶を仕入れるようになりました。仕入れたお茶はヨーロッパだけではなくアメリカでも販売されました。

茶馬交易
茶馬交易は、遊牧民族国家には必要なかったため元代には停止していましたが、明代になり復活しました。清代1735年に、国による茶馬交易の制度は廃止されました。しかし、民間交易として、茶馬交易は20世紀半ばまで続きました。交易路は、チベット、ミャンマー、ネパール、インドへと広がりました。

雲南省那柯里 茶馬古道 (2019年12月)

紅茶の誕生
紅茶の誕生は諸説あります。その一つは、福建省武夷山市の桐木村で、偶然緑茶が全発酵し紅茶になったという説です。その他の有力な説は、18世紀後半に烏龍茶を中国からイギリスに船で輸送中に全発酵し紅茶になったというものです。
全発酵茶は、ボヒー(武夷茶 bohea)と呼ばれ砂糖やミルクにも合うと、イギリスでは緑茶より人気が高まりました。

アヘン戦争(1840-42)
イギリスが中国から輸入するお茶が激増し、イギリスは支払いの銀が不足しました。イギリスはインド産のアヘンを中国に密輸することで、銀の流出を抑制しようとしました。その結果、アヘン中毒者が増え、清王朝がアヘンを取り締まりイギリスとの通商を禁じたことで、イギリスが軍を派遣し戦争へと発展しました。イギリスが勝利し、清王朝にとって不平等な「南京条約」が締結され通商が再開されました。
アヘン戦争後、インドで紅茶が生産されるようになり、ヨーロッパでの紅茶の消費が急拡大しました。それに伴い中国でも紅茶が多く生産されるようになりました。しかし、イギリスはインドからお茶を多く輸入するようになり、また中国はイギリスよりもロシアにより多くお茶を輸出するようになりました。

戦後から現在
清王朝が終わり、1912年に中華民国(1912-1949)が成立しました。やがて、国民党と共産党の内戦になり、国民政府は台湾に逃れ、1949年に共産党による中華人民共和国が成立しました。
中国の茶業は、日中戦争や内戦、文化大革命(1966-1977)の影響により停滞しました。しかし、その後、茶業は復興し、中国はお茶の生産量・栽培面積ともに世界一のお茶大国になりました。現在、中国では多種多様なお茶が作られています。

注:お茶は植物としては「チャの木」または「チャ」とカタカナで表記されます。「チャ」はツバキ科の常緑樹で学名はCamellia sinensis (L.) O.Kuntezeです。
本サイトではカタカナは使わず「お茶の木」「お茶」と表記しています。
*文中の中国の文献、人物の()ないの読み仮名は、全て日本語読みです。

参考文献:
日本中国茶普及協会(2015) よくわかる中国茶の本(第3版) 日本中国茶普及協会
日本中国茶普及協会 http://china-t.org
工藤佳治主編者(2007) 中国茶事典(初版) 勉誠出版
大森正司、阿南豊正、伊勢村護、加藤みゆき、滝口明子、中村羊一郎編(2017) 茶の事典 初版第一刷 朝倉書店
社団法人農山漁村文化協会編集(2008) 茶大百科 I歴史・文化/品質・機能性/品種/製茶(第1刷) 社団法人農山漁村文化協会
日本茶業学会(2021) 茶の科学用語辞典 第3刷 日本茶業学会
布目潮渢、中村喬 著(昭和51) 中国の茶書(第1刷) 平凡社
「世界の歴史」編集委員会編(2009) もういちど読む山川世界史(第1刷) 山川出版社
ヘレン・サベリ著 竹田円訳(2014) お茶の歴史(第1刷) 原書房
高野實、谷本陽蔵、富田勲、中川致之、岩浅潔、寺元益英、山田新市 執筆 (社)日本茶業中央会監修 (2005) 緑茶の事典 改定3版 柴田書店
角山栄著(2018)茶の世界史(改版) 中央新書
松崎芳郎著(1992) 年表 茶の世界誌(第1刷)八坂書房
高橋忠彦(平成25) 茶経・喫茶養生記・茶録・茶具図賛―現代語でさらりと読む茶の古典(再版) 淡交社
藤枝理子(2022) 仕事と人生に効く教養としての紅茶 PHP研究所
竹田武史(2019) 茶馬古道の旅 中国のティーロードを訪ねて 淡交社
荒木 安正・松田 昌夫 (2002) 紅茶の事典 柴田書店

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