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お茶の歴史
日本のお茶の歴史2「9〜12世紀」
平安時代 (794 – 1185)
遣唐使が伝えたお茶
最澄の茶園
遣唐使として、唐(中国)で仏教や大陸文化を学んだ最澄(766もしくは767-822・後の伝教大師)が、805年の帰国の際に、お茶の実とお茶(団茶)を持ち帰ったと伝えられています。
滋賀県大津市の比叡山の麓の日吉大社近くには、最澄が茶の実を植えたと伝わる茶園があります。
団茶:お茶を固めて加工したもの、緊圧茶、固形茶とも呼ばれます。
空海の石臼
806年には、空海(774-835 後の弘法大師)がお茶の実と石臼を日本に持ち帰り、奈良県宇陀市の佛隆寺に植えたと伝えられています。佛隆寺には石臼が保存されています。
最澄は比叡山延暦寺を建立し、天台宗を開き、空海は真言宗を開きました。
大内裏茶園
平安京の大内裏(だいだいり)に茶園があったこと、そしてこの茶園で摘んだ茶葉を製茶し、そのお茶を朝廷の仏教儀礼で使っていたことが史料で確認されています。
日本後紀
平安時代に編纂された史書「日本後紀」には、「弘仁6年(815)に、梵釈寺の大僧都永忠が嵯峨天皇に茶を煎じて給仕した」、「畿内や近江・丹波・播磨等の国にお茶を栽培させ毎年献上させる」という記載があります。永忠(743-816)は、最澄や空海と同様に唐で仏教を学びました。
煎茶法
当時、中国の最新の文化がもてはやされ、天皇をはじめとする貴族たちはこぞって朝廷内に茶園を設け、お茶作りに励みました。当時の喫茶法は、中国から伝わった煎茶法でした。団子状に固めた茶葉から必要な分だけ茶葉を取り、臼で挽き、粉末状にして釜に入れ、煎じて飲んでいたと考えられています。
貴族と僧侶のお茶
お茶は、健康飲料もしくは薬として考えられていて、貴族や僧侶だけもので庶民が飲むことはありませんでした。お茶は「儀式の飲み物」として用いられました。貴族たちはお茶を飲みながら和歌を読み、僧侶たちは長時間瞑想する間の眠気覚ましとして、お茶を飲みました。
注:お茶は植物としては「チャの木」または「チャ」とカタカナで表記されます。「チャ」はツバキ科の常緑樹で学名はCamellia sinensis (L.) O.Kuntzeです。
本サイトではカタカナは使わず「お茶の木」「お茶」と表記しています。
参考文献:
松崎芳郎著(1992) 年表 茶の世界史(初版) 八坂書房
工藤佳治主編者(2007) 中国茶事典(初版) 勉誠出版
社団法人農山漁村文化協会編集(2008) 茶大百科 I歴史・文化/品質・機能性/品種/製茶(第1刷) 社団法人農山漁村文化協会
大森正司 ・阿南豊正 ・伊勢村護 ・加藤みゆき ・滝口明子 ・中村羊一郎編(2017) 茶の事典 (初版) 朝倉書店
高野實、谷本陽蔵、富田勲、中川致之、岩浅潔、寺元益英、山田新市 執筆 (社)日本茶業中央会監修 (2005) 緑茶の事典 改定3版 柴田書店
橋本素子著(平成28年) 日本茶の歴史 (茶道教養講座) (初版) 淡交社
国立国会図書館デジタルコレクション 辻善之助編(大正15年) 国史参照地図 金港堂書籍
森田悌(2018) 日本後紀(中)全現代語訳(第8刷) 講談社学術文庫
五味文彦・鳥海靖編(2010) もういちど読む山川日本史(第1版) 山川出版社
「世界の歴史」編集委員会編(2009) もういちど読む山川世界史(第1版) 山川出版社
ヘレン・サベリ著 竹田円訳(2014) お茶の歴史(第1刷) 原書房
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