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お茶の歴史
日本のお茶の歴史3「12〜16世紀」
鎌倉時代(1185〜1333)
日本茶の祖・栄西(ようさい/えいさい)禅師
臨済宗の開祖・栄西禅師(1141-1215)は、2度宋(中国)へ渡り禅を学びました。1191年、栄西は長崎県平戸に二度目の帰国をし、その際に茶の実を持ち帰りました。栄西は帰国後約3年間、九州北部を中心に禅の普及に努めました。
栄西は、平戸で冨春庵(ふしゅんあん)を建て、裏山には茶の実を植えたと伝えられています。
栄西は脊振山(せふりやま/せふりさん)の霊仙寺(りょうせんじ)でも座禅修行に励み、霊仙寺石上坊に茶の実を植えたとも伝えられています。脊振山は佐賀県と福岡県の境にあります。
点茶(抹茶)法
栄西は、宋から点茶(抹茶)法と呼ばれる新しい喫茶法を日本に伝えました。点茶(抹茶)法では、茶葉を蒸して固めて作った団茶を削り、「碾」と呼ばれる木製の薬研(やげん)を使い粉にして、沸騰したお湯に入れて飲みました。
仏教とお茶
お茶に含まれるカフェインが、修行中の眠気を除き精神を集中させるのに役立つと、禅僧の間でお茶が広く飲まれるようになりました。
喫茶養生記(きっさようじょうき)
1211年に栄西は、『喫茶養生記』を著しました。喫茶養生記は、上下2巻からなる日本初の茶書で、お茶の効能、お茶の木・葉・花の形状、茶摘みの時期、お茶の製法、お茶の飲み方などが書かれています。喫茶養生記には「熱いお湯にお茶の粉を注いで飲み、お茶の量は銭の大きさの匙で2〜3杯だが、飲む人の好みで調整して良い」と書かれています。また、下巻には桑の葉の効能や飲み方についても書かれています。
歴史書『吾妻鏡』には、1214年に栄西は二日酔いで苦しんでいた3代将軍・源実朝にお茶を勧め、その症状が軽くなったという記録が残されています。
明恵(みょうえ)上人と茶十徳
栄西は京都栂尾山(とがのおさん)の僧侶の明恵上人(1173-1232)にお茶の実を贈り、明恵はその茶の実を栂尾山高山寺(こうさんじ)に植えたと伝えられています。
また、明恵によって、明恵が説いたお茶の効能「茶十徳」と共にお茶は宇治、大和、伊勢、駿河、武蔵などへ広がったと伝えられています。
栂尾のお茶は本茶と呼ばれ、それ以外のお茶は非茶と呼ばれるようになりました。
唐物の流行
鎌倉時代は、中国から絵画、茶碗、香炉などが輸入されました。中国の美術工芸品は唐物と呼ばれ武家、公家、僧侶らの間で流行しました。また、将軍家などでは、接客の場として会所ができ、そこで和歌や連歌、茶の湯も行われていました。
室町時代(1336〜1573)
南北朝時代(1337〜1392)・戦国時代(1467〜1573)
全国に広がったお茶栽培
南北朝時代に著された「異制庭訓往来(いせいていきんおうら)」には、主な茶産地が記載されランク付けがされています。第一は栂尾、補佐は仁和寺、醍醐、宇治、葉室、般若寺、神尾寺、名産地は大和宝尾、伊賀八島、伊勢河居、駿河清見、武蔵河越は名産地と記載されています。
闘茶
14世紀後半鎌倉時代末期から、栂尾の本茶と他の産地の非茶を飲み比べ、産地を当て競う「闘茶」が、武家、公家、僧侶らの間で流行りました。
庶民と茶
室町時代になると、寺社で生産されたお茶を参詣人に振る舞われるようになったと考えられています。また、寺社の参詣人に一杯のお茶を一銭で売る「一服一銭」の茶売りたちが現れました。当時、庶民は番茶を飲むことができたのではないかと考えられています。
侘び茶
15世紀後半、村田珠光(むらたじゅこう)(1423 – 1502)は侘び茶を創出しました。珠光は臨済宗の僧侶・一休宗純(1394-1481)から禅を学びました。そして侘しい状態の美を積極的に肯定し、茶道と禅は目指す境地は同じであるという「茶禅一味」の境地を開きました。その後、侘び茶は堺の商人・武野紹鴎(たけのじょうおう)(1502-1555)に受け継がれました。
安土桃山時代(1573-1603)
千利休(せんのりきゅう)による茶の湯
武野紹鴎の弟子となった千利休(1522-91)により「茶の湯」が完成しました。そして茶の湯は、武士や豪商の間に広がっていきました。
戦国時代、利休は織田信長(1534-1582)や豊臣秀吉(1537-1598)といった戦国武将たちの茶道の指南役となり、多くの茶会を取り仕切りました。しかし、1591年利休は秀吉に切腹を命じられその生涯を閉じました。
利休の死後、その弟子の古田織部(ふるたおりべ)(1544-1615)は、利休とは異なる様式の葉の湯を築きました。織部の弟子の小堀遠州(1579-1647)の茶の湯は、華やかさの中にもさびのある風情があり「綺麗さび」と呼ばれました。
宇治茶と被覆茶園
宇治で16世紀末・安土桃山時代に茶園を被覆する覆下栽培が始まりました。宇治茶は人気が高まり、栂尾茶に代わり全国一番のブランド茶になりました。森家と上林家など宇治の茶師は、大名やその家臣を顧客に持ち、単なる茶業者ではなく、お茶の知識を兼ね備えたお茶の総合プロデューサーのようでした。
参考文献:
松崎芳郎著(1992) 年表 茶の世界史(初版) 八坂書房
工藤佳治主編者(2007) 中国茶事典(初版) 勉誠出版
社団法人農山漁村文化協会編集(2008) 茶大百科 I歴史・文化/品質・機能性/品種/製茶(第1刷) 社団法人農山漁村文化協会
大森正司、阿南豊正、伊勢村護、加藤みゆき、滝口明子、中村羊一郎編(2017) 茶の事典 初版第一刷 朝倉書店
高野實、谷本陽蔵、富田勲、中川致之、岩浅潔、寺元益英、山田新市 執筆 (社)日本茶業中央会監修 (2005) 緑茶の事典 改定3版 柴田書店
橋本素子著(平成28年) 日本茶の歴史 (茶道教養講座) (初版) 淡交社
高橋忠彦(平成25) 茶経・喫茶養生記・茶録・茶具図賛―現代語でさらりと読む茶の古典(再版) 淡交社
五味文彦・鳥海靖編(2010) もういちど読む山川日本史(第1版) 山川出版社
「世界の歴史」編集委員会編(2009) もういちど読む山川世界史(第1版) 山川出版社
ヘレン・サベリ著 竹田円訳(2014) お茶の歴史(第1刷) 原書房
目の霊山 油山寺 https://yusanji.jp/
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